先月はお休みをいただき、四国お遍路、阿波の国 徳島県へ、ひとり歩きの巡礼の旅へ出かけてました。
1200年前に、弘法大師空海さんが開かれた四国お遍路。
88カ寺、1400kmにも及ぶ長い長い巡礼の道。
88とう数字は私たち人間の煩悩の数であり、四国を遍歴して修行することによって、残りの20の行動の煩悩も合わせて108の煩悩を滅すると言われているそうです。
今回は約一週間、徳島県の1番札所から23番札所をお参りしてきました。
キャンプしながらまわれないかなぁ、という安易な気持ちで必要以上に重たい荷物を背負って出かけた今回の旅。
そんな荷物を背負ってる私をみかねてか、車に乗せてくれる方に何度も出会いました。
地元の方がお遍路さんにしていただける「お接待」。
初日は荷物の重さで、もう歩けないんじゃないかと思っている時に、2度も助けていただきました。他にもお野菜をいただいたり、ジュース代にとおこずかいをいただいたり、励ましの言葉をいただいたり、本当にありがたい気持ちで一杯になりました。
5番札所 地蔵寺の樹齢800年の大銀杏。
四方に枝を伸ばし、生き生きとした立派な大木。
生命の息吹を感じます。
12番札所 焼山寺へ向う途中で出会った御大師さん。
山を登って下りて、また登った先にある焼山寺。
遍路道の中で一番の難所といわれているこの山越えを、重た~い荷物を背負って挑んだことを本当に後悔したほどきつくて苦しかった一日。
お遍路は同行二人といって、一人で歩いていても御大師さんと一緒であり、孤独ではない、御大師さんが一緒に歩いてくれて、清浄の道を示してくださると信じられています。
本当にきつすぎて、その日に焼山寺へは辿り着けないかもしれない、そんな心が折れそうになった時は、御宝号をひたすらお唱えしながら一歩一歩 歩みを進めました。
そして一つ目の山を登った先で出迎えてくれた御大師さん。
私のそばで励まし、一緒に歩いてくれているんだなぁと強く感じた時。
この後、身体の疲労は少し軽減され、無事に焼山寺へのお参りも終えることができました。
苦しさの中から感じ取れたことも多々あり、この重たい荷物を背負って登ったことにも何か意味があったように思いました。
焼山寺からの下山後、やはりキャンプは無理だと判断し、荷物を自宅へ送り、すべて宿泊まりにし、使えるところはバスや電車に乗ることに変更。
男性なら遍路小屋などで寝袋があれば過ごせると思いましたが、私は一応女性、体力的にもやはりきびしいんだなぁと痛感しました。
荷物が減り、歩きやすくはなっても、一日20km~25kmほど歩くのはやっぱりしんどい。
でも遍路道は、住宅街や幹線道路も歩きますが、一本中に入った道がほとんどで、常に鳥たちのさえずりが近くに聞こえ、自然を感じながら気持ちよく歩けました。
20番札所 鶴林寺、21番札所太龍寺は山の上にあるお寺。
またしても山登り。山の中は空気が澄んでいて気持ちはいいのですが、疲れが抜けきらないまま、そして5月下旬だというのに7月並の暑さで、体力の消耗もかなりのもの。
無事に辿り着けることに感謝し、また次のお寺へ辿り着けることお願いする、この繰り返しだったかもしれません。
太龍寺から22番札所平等寺へ向う途中、時間も遅くなり、何時に宿に着けるのか、そんな心配をしながら歩いていたら、お遍路を車でまわっているおじいちゃま二人組みの車に乗せていただけることに。
地元の方だったようで、この一週間、徳島の方たちに何度助けられたことか。
見ず知らずの私に親切にしてくださる「お接待」という文化。
本当にありがたいという気持ちと、心を和ませ温かくしてくれる思い出に残る出来事でした。
徳島県最後は23番札所 薬王寺。
山から海へ。
きれいな海の色に、心も身体も癒されました。
この日は、ただただひたすら歩きました。
ひたすら歩いて辿り着いた薬王寺。最後の階段は、手すりを持たなければ上れないほどふくらはぎが悲鳴をあげていましたが、無事にお参りを終えることができました。
初日は23番までとても歩けそうにない、無理なら途中で帰ろうか、そんなことも思ったりしましたが、なんとか無事にすべてまわることができ、本当によかったです。
歩くことで思うこと、感じたこと、たくさんありました。
私の心の奥底でうごめいているなにか。
88カ寺をすべて巡拝し、結願できた時、私の心は開放されるのでしょうか。
祈りの道はまだまだつづく。
次は土佐の国 高知県へ。